2010年6月20日日曜日

オトナは知っている [かいじゅうたちのいるところ]

「メルヘンは残酷だ」と言ったのはたしかミヒャエル・エンデだったと思う。メルヘンは世界をアリノママに伝える物語だから安易なパーピーエンドでは済まされないのだ。映画[かいじゅうたちのいるところ](2010年公開)は(そういう意味で)メルヘンだと思う。スパイク・ジョーンズ監督には少年の意識がある。映画は少年の意識で描かれている。[マルコヴィッチの穴]では(オトナ社会を覗き見る)脳内目線を設定したスパイク・ジョーンズが今度は少年意識の純粋に挑戦した。「かいじゅう」は「怪獣」ではない。とてもナイーブな存在である。「かいじゅう」は少年マックスの内面が生み出した多重人格のようでもある(そうでもないようでもある)。敏感で壊れやすい精神がナマの喜怒哀楽を放出する「かいじゅう」に対して少年マックスは勇気を出して対峙する。少年マックスは「かいじゅう」の気持ちがよくわかったし「かいじゅう」も少年マックスの気持ちがよくわった。 ママにだってわかってもらえない少年のサミシサを「かいじゅう」たちは共感してくれる。この島は楽園なのか、いや違う。孤島で暮らす「かいじゅう」たちのサミシサは絶対的なモノだった。無垢なる少年のタマシイに着ぐるみをかぶせた「かいじゅう」たちはオトナになることを拒絶しているから精神の成長がない。「かいじゅう」たちは永遠なる少年(少女)だった。孤島は決して楽園にはなれず癇癪持ちのキャロルが嘆き続ける特別なエリアなのだ。それでもそれなりに「かいじゅう」たちと楽しく遊んでいた少年マックスだが、この夢は長く続かなかった。(おもちゃの)王冠を脱いで少年はオウチニカエル決意をする。少し成長したマックスだった。夢の楽園もそれほどハッピーではなかった。家に帰ると疲れたママのやさしい笑顔が待っていた。

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