2010年6月24日木曜日

アシタの様子 [蜘蛛巣城]

愛馬が暴れて手がつけられない様子を見て、城主は我が身に起こる不吉を感じた。これは黒澤明監督の[蜘蛛巣城](1957年公開)の冒頭エピソード。
ストーリーを語るときに伏線が重要な役目を果たすのは前兆の存在が定着しているからだと思う。出来事は唐突に起こるのではなくて事前に予兆が表れている。予兆を少しずつ察知しながら観客はストーリーを楽しむ。または人生を楽しむ。
だから天気予報も重要だ。雨の予報でテロが中止になったこともあるらしいし、明日の天気で気分は変わる。株価も動く。
虫の知らせとは洒落た呼び名を付けたものだと思う。小さな虫が重要な知らせを伝えてくれる。この虫は腹の虫のように小さすぎて目には見えない。目に見えないほどの小さな虫が大切な働きをする。虫の知らせは往々にして肉親の死を予告するけど、おかげで心の準備が整う。ありがたいことだ。
諸行は無常だけど宇宙の法則はもっとデカイ。
ある老チェリストは言った。「美しい音楽はあらかじめ宇宙に存在しているのです。私たちはそれを探しているのです。」と。スベテの音楽は既に書き出されている。小さな人間たちはその中から選択をする。
数学の定理も発明するとは言わない。発見すると言う。ゼロも印度で発見された。既に存在している事柄を時間をかけて少しずつ発見していくのだ。それが人間の楽しみなのだろう。
明日は吉祥寺のデパートに人形劇を観に行く予定。

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