2010年6月20日日曜日

トライポッドによって [第三の男]

オープンテラスのカフェなどで足が一本浮いているテーブルがある。プカプカと揺れて珈琲がこぼれてイライラする。紙ナプキンを畳んで押し込めて対処したりする。ということは、このテーブルは既に三本の足で自立していたのだな。テーブルは三本の足で支えられて立っていられるのだな。考えてみればそんなに不思議なことでもない。まあそうだなと思える。ボクが気になるのは、じゃあどうしてほとんどのテーブルは四本足なのだろうかということ。四本目の足はよけいモノなのではないか、蛇足ではないかと感じちゃう。カメラをささえる道具は三本足の三脚だ。三本の足で名作をたくさん撮ってきた優秀な道具である。映画[第三の男]も名作のホマレ高い。ニッポンでは1952年公開ということだからボクはまだ生まれていない。ボクは高校生の頃に(たぶん)池袋の文芸座(低料金で再映する名画座と呼ばれていた劇場)でオーソン・ウェルズ主演の[第三の男](キャロル・リード監督)を観た。池袋の文芸座はネズミが暗躍する劇場だった。[第三の男]のストーリーは、やはり(第一。第二よりも)第三の男がカナメだが第三の男であるオーソン・ウェルズがなかなか登場しない。登場しても暗闇の中でネチャと笑うばかり。(観覧車の中で会話をするデイシーンがあるけどあまり印象的ではない)亡命中の美女(アリダ・ヴァリ)を中点にした三角関係と殺人事件によってエンターテイメントをもり立てるけど、映画のテーマは別にある。それは「第三の男の欠損」である。第三の男(オーソン・ウェルズ)の存在感よりも、返って「どうしてアイツが画面に出てこないんだ」と気にさせる非存在感による問題意識の喚起だった。足が浮いたままでプカプカ揺れているテーブルをそのままにしておくのだ。不安定の実在を示して見せた。

0 件のコメント:

コメントを投稿