2010年6月23日水曜日

テイタラクが邸宅へ行った [舟越桂 夏の邸宅]

彫刻家舟越桂の展覧会[夏の邸宅](2008年開催)を見た。東京都庭園美術館はアールデコ装飾の邸宅がそっくりギャラリーになっている。邸宅というのはかつて人が息をして生活していた空間のことだ。今は伽藍としているリビングやバスルームや書庫にフナコシの作品は過去の気配に包まれて現在を誇示していた。
まずは、筋肉質で撫で肩の両性具有スフィンクスがタップリとした乳房を露わにしたまま冷ややかなまなざしでボクを出迎えてくれる。作品のそれぞれには詩的なタイトルが付けられていて訪問客の想像物語を喚起しする。遠くをしっかりと見つめるためにノウウと首を伸ばす木彫のヒタイは知的に広くて、鼻筋はスッキリと頑固に通り抜け、頬の翳りは反骨を示している。コンと尖ったクチビルには特別な感情が宿っていた。人格の固まりが古い洋館の部屋部屋にいるのだ。恐怖よりも畏怖を感じながら廊下を歩き階段をのぼる。笑わない人格たちと次々に対面していくと毎日意味もなくヘナヘナと笑っている自分がケナゲ以下に思えてくる。時に小首をかしげて思考すること、立ち止まったまま動かないこと、静かであること、の、重さを知る。挫折したピノッキオを哀れんではいけない。堂々と挫折をさらけ出しているその態度を讃えるべきだ。でも、よく見ればピノッキオはただ立ったまま眠っていたのだった。側頭葉から生えている角も自慢げな乳房も平常なペニスも個人の尊厳とかプライドを表しているのかと思ってみたが、もっと動物的な官能のシンボルだとやがて気づく。実直なエロスを語りたくても語る言葉を持たないボクにとってフナコシの世界は至福の海だった。

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