2010年6月24日木曜日

貧乏人はアワテない [過去のない男]

ゴトゴト揺れる夜汽車の通路に、焦げ茶色の皮コートを着た中年の男が立っている。アキ・カウリスマキ監督の映画だからフィンランド人だと思うが蟹江敬三に似ている。イカツイ顔だが情けなくて幸が薄そうである。映画[過去のない男](2003年公開)は、都会に出てきた(蟹江敬三に似た)男が夜の公演で黒い革ジャンの暴漢グループに襲われて記憶喪失になるという始まり方だ。カウリスマキ調はフラットな照明と最小限の演技、おだやかな状況説明を特徴としている。地味だけど統一された色彩感覚は観ればわかる。話すべきことがなければ話さないという普通の生活感覚は厳密に守られている。不運は誰のセイでもない、そういうもんなんだ、という常民の常識がベースになっているからだと思う。血だらけで駅のトイレに倒れ込めば死体だと通報されるし、救急病院でも死んだ方が本人のためだと医者は言う。でも包帯グルグルの(蟹江敬三に似た)男はパキンと立ち上がった。曲がった鼻も自分でヒネリ直して波止場でもう一度倒れ直した。錆びたコンテナに暮らす波止場の家族に介抱されて、(蟹江敬三に似た)男は救われるが自分の名前も思い出せない。典型的な記憶喪失だ。自分の名前が思い出せないと就職もできないし銀行口座も作れない。名前のない人間は(それだけで)不審者なのであった。ナンダカンダあって救世軍の中年女職員イルマと恋仲になってブルースを聴きながら見つめ合って終わる映画なんだけども最高である。波止場の警備員はケチな野郎だけどイヌを連れているし、情けないイヌなのに名前がハンニバルという、ジュークボックスを拾えば無口な電気工事人が直してくれるし、救世軍の楽団はロックをやる。海辺に芋を植えれば芽が出て収穫があるのだった。助けてくれたコンテナの親父に芋を半分やれば満面の笑みの下町情緒だし、夜汽車の食堂車ではクレージーケンバンドの「ハワイの夜」が哀切に流れていた。さびしさのモチぺーションと無感動なヨロコビがスガスガしくて、行き過ぎが止まらない装飾過多な潮流に堰を設けて(アキ・カウリスマキ監督は)踏ん張っているのだった。ボクも一緒に踏ん張りたいと思う。(動く彫刻と呼ばれる能楽師のような)孤高の貧乏人たちは画面の外の遠くをジット見つめている。

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