2010年8月4日水曜日

ウラオモテのない人 [マルホランド・ドライブ]

地下のカーテンに囲まれた部屋の車イスの小さな男はナニモノだろうか。イヤホンをかけて表社会をリサーチしている。
この部屋には覚えがあるぞ。ツインピークスで小さな男が逆回転で踊っていたあの分厚いカーテンの異様な部屋に似ている。社会には裏があって、誰かがおもしろ半分に(だけどマジメに)操作しているんだろう、そういう部屋である。いわゆる裏社会のさらに深層を示していると思う。だけどホントウはそんなモノはなくて、表も裏もイッショクタになっていて、見分けがつかなくなっているとも思う。だからこそデビッド・リンチは、その混沌を見極めたくて映画をつくるのだろう。表裏一体を感性で分析しているのだ。オモテとウラが象徴化されてランダムに登場するのが映画[マルホランド・ドライブ](2002年日本公開)というわけだ。
田舎町で健全に育ったベティの純真は都会(ハリウッド)の表裏一体に汚されてしまった。自己実現とか夢を叶えるとかいった上昇志向には落とし穴があって、その落とし穴には出口が無くて宇宙の果てまで落ちていく。田舎で平凡に暮らしていればヨカッタのだ、というのがこの映画のひとつのテーマだ、とボクは思う。
飛行機の中で仲良くなった老夫婦も邸宅の管理人の老婦人ココも笑い方が気持ち悪い。おかしいから笑っているのではない、バカにしているのだ。誰をバカにしているのか。映画の中ではベティをだけど、それだけではなさそうだ。もっと不気味に力強く四方八方に嫌味を振りまいている。観客をバカにしているのだぞ。バカにしているという言い方が気に障るとしたら、忠告をしていただいている。リンチはボクたちに忠告をしてくれているのだ。「ボクは好き勝手に映画をつくって楽しそうに見えるかもしれないけど、そうでもないかもしれないよ」というメッセージである、とボクは思う。ハリウッドに続くマルホランド・ドライブという坂道でのクラッシュシーンの炎上がこの映画の冒頭だったということを肝に銘じておこうぜ。
というところで、ちょっと出かける用事があるので、今日はここまで。続くよ。次は黒髪の美女のシャワーシーンからだよ。

2010年8月2日月曜日

泣き女が待ち遠しくて [マルホランド・ドライブ]

さあデビッド・リンチ監督の[マルホランド・ドライブ](2002年日本公開)だよ。どこから手をつけてよいか途方に暮れるな。入り口と出口の見分けがつかないのだよ、この映画。でも、どこから手をつけても許してもらえるだろう。(誰に?)
60年代風のダンスコンテストがファーストシーンだけど、背景はなくてムラサキ一色だ。喝采を浴びるブロンドのベティ(ナオミ・ワッツ)は露出オーバーに輝いている。
次のカットは薄暗い部屋の無人のベッドだけど枕もシーツも乱れているぞ。
さらにシーンが変われば、夜のマルホランド・ドライブの走行主観だ。マルホランド・ドライブとはロス・アンジェルスの街を見渡す丘の坂道。ハリウッドまで続いている道らしい。
黒髪の美女が虚ろなマナザシで高級車の後部座席に座っている。助手席の男に拳銃を向けられて、撃たれるのかと思ったら突然対向車がぶつかってきた。この事故で、黒髪の美女は撃たれずに済んだけど記憶を失くしてしまう。記憶はなくても狙われている切迫感はあるようで、主人が出かけた一軒家にソソッと忍び込み身を潜めた。
この家がベティの(裕福な)叔母の家である。ハイスクールのジルバ大会で優勝したベティは、カナダのオンタリオから映画俳優をメザして上京するのだ。旅行に出る叔母の家にしばらく滞在することにしている。
そのベティの(裕福な)叔母の家に黒髪の美女が(記憶をなくして)忍び込んだのだよ。ここまでが基本的な状況設定だね。
ファミリーレストランでは純朴そうな男が熱心に夢の話をしている。マントを被った黒こげの人物が一瞬デジャブのように現れる。
ホラホラ、リンチらしくなってきたぞ。そういえば最近デジャブを見ていないな。年をとると見なくなるのかな、飛ぶ夢も見なくなったな。
というところで、ちょっと出かける用事があるので、ひとまず今日はここまで。
続くよ。次は地下の、カーテンに囲まれた部屋の、車イスの小さな男のシーンから始めよう。