2010年6月20日日曜日

河をワタル少年 [僕の村は戦場だった]

ポーンポーンと打ち上げ花火のように照明弾が夜空を駆けあがる。ユッタリ流れる夜の河の鉛色の水面に人影が見える。銃声が聞こえる。ここは戦場だ。アンドレイ・タルコフスキー監督の長編第一作[僕の村は戦場だった](1963年日本公開)はソビエト映画である。テーマは主人公イワン少年(12歳)の正義感だ。あどけなくも精悍なイワン少年は正義感によって戦争に参加する。子供だから敵に見つからずに前線の河を渡ることができる。敵の動向を探ることができる。「僕は戦争に参加する」とイワン少年は言い切るのだ。子供だって、できることがあればやるべきなのだ、という主張だ。イワン少年の言動と一本気な睨むような目つきは、弱気な青年兵士や若い娘の看護兵にちょっかいを出す上官とは対照的だけど、戦争という現象はナンデモカンデモ取り込んでしまうから、軍隊を一律に管理することは難しい。だから、国を憂うイワン少年の純粋な正義感は時に空回りする。映画は平和だった時代の眩しい回想シーンから始まった。イワン少年は溶けるような笑顔で天使のように宙を舞っていた。なのに急転直下、戦場の場面に突入するのだ。予期せぬ場面転換だ。やさしい母と美しい故郷を失ったイワンは、とてもカタクナな性格になった。彼は一徹に戦争を遂行しようとする。イワンにとって他に選択肢はないのだろう。復讐的な正義感。それがイワンの生きる糧になった。子供扱いされることを徹底的に拒んだ。イワンは河を渡って一人で敵陣に潜入していった。ベルリンが陥落して戦争は終わる。処刑された捕虜リストにイワンの写真があった。キッとカメラを見据えたイワンのまなざしは怒りを表明していた。彼はヒーローではない。普通の子供だ。タルコフスキーは映画によって戦争を記述した。

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