2010年6月20日日曜日

ティーンエイジャーの不快 [エデンの東]

「父親から愛されないからスネて見せる青年の物語」にボクは共感できない。映画[エデンの東](1955年公開)はジェームズ・デイーンのデビュー作でアメリカでもニッポンでもヒットした。主人公キャル(ジェームズ・デイーン)が背中を丸めてうずくまったり、上目遣いで寂しそうに人を見つめる評判のポーズにボクはココロ動かされない。同情を求める甘ったれ根性をウマク表していると思うだけだ。それよりも、関係のない隣人(太った黒人女性)がキャルの無邪気を見て笑い転げたり、素性も知れない貧しい農婦が美形なキャルに(勝手に)嫉妬の目を向けて苛立ったりするインサートカットの方が鋭くボクの気持ちをエグる。この映画には(ストーリーに関わらない)傍観者が印象的に登場するのだ。傍観者とは即ち観客の立場である。映画の中に観客の立場が(違和感なく)混入するのである。これはスゴイと思う。エリア・カザン監督は(こういった)細部表現こそをやりたいがためにこのストーリーを選んだのかもしれない。聖書の逸話をベースに父と息子の葛藤を描くという筋立ては(たぶん当時の欧米では)理屈ぬきに明解だ。だから細部に趣向を凝らすために手間と時間をかけることができる。止まった観覧車から鉄骨づたいに降りてくるとか、玄関先で縄ブランコを大きく揺すりながら相手とぶつかるほどに急接近する会話シーンなど、キャルの不安定な心情を示すアイデアと方法が多彩で楽しめる。「善人とは何か」といった聖書的な話題も挿入されるけど、こういうのは製作資金を工面するために必要な要素なのではないかと思う。そういうスポンサーとか、そういうエピソードがあると安心する観客に向けた接客である。一番の善人として描かれる父親は農園経営者で戦争反対を唱えているのに徴兵の事務仕事も担っているし、生真面目な兄の清純な恋人は実は弟キャルに惹かれていて、兄が出征してしまえばキャルと熱烈に抱き合う。病床の父の最後の言葉は「看護婦が気に入らないから変えてくれ」だった。実はこの映画のテーマは偽善の人間らしさだったのだ。映画中盤でキャルは父に強く言っていた。「もっと話してよ父さん」と。息子は父の本音を知りたかっただけなのだ。

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