2010年6月20日日曜日

やさしく血ダラケ [ワイルド・アット・ハート]

あらすじは読まないに限る、映画は観るものだ。自分の感性に自信が持てる映画が良い映画だと思う。誰がなんと言おうとこのように感じたと胸を張って言える映画がボクは好きだ。デヴィッド・リンチ監督のイメージは死と直結している。悲しい死ではなく成り行きとしての死、犬も歩けば棒に当たるようなアタリマエな死のイメージが空気に溶け込んでいる。[ワイルド・アット・ハート](1991年公開)のハイテンションは死の前夜祭だと思う。死のカウントダウンはドラッグよりも酒よりも高揚するのだとリンチはボクに教えてくれた。ファーストシーンから流血で脳味噌が飛び出してセイラー(ニコラス・ケイジ)はさっさと刑務所行きである。殺人に動機はないし衝動もない。言うならば運命殺人だ。殺人しちゃうのはセイラーの運命なのだ。因果応報だの日頃のオコナイだの啓示だのといったコムズカシイことではない。そんなモンだという世界がそんなフウに描かれるリンチの世界。水晶玉に浮かぶ映像を見ているのは誰だ、魔女だ。それは良い魔女か悪い魔女か、それはわからない。わからないけど第三の目が世界を見つめているという概念がボクたちを安心させてくれる。地上の人間たちは了見が狭いからね。誰かに高見から見物していてもらわないと心配でしょうがない。恋人ルーラ(ローラ・ダーン)は言う「世界の果てまでついていくわ」、しびれるセリフだぜ。蛇皮のジャンパーを着続けるセイラーとセクシーボディコンなルーラはオープンカーでアメリカの荒野を疾走する。あいかわらずヘンな奴らが唐突に登場してアリガタイ言葉を残して死んでいく。海軍くずれのボビー(ウィレム・デフォー)は全部の歯が摩耗して小粒な乳歯のようだったし、探偵ジョニー(ハリー・ディーン・スタントン)は[パリ・テキサス](ヴィム・ヴェンダース監督 1985年公開)の続きをモクモクと(真面目で間抜けに)演じていた。火種(マッチや煙草の先っちょ)のクローズアップはいつもの(リンチの)シカケだから深く考えない方がよい。放火殺人の炎上シーンが謎解きのカギのように思わせる手管だけどホントのテーマは別にある、というのがリンチ作法なのだ興奮剤なのだ。それよりもローラが吐いた床のゲロが臭ってきてどうして掃除しないのだろうとずっと思っていた。結局ゲロを掃除しないままラストを迎える[ワイルド・アット・ハート]は渾身のハッピーエンドを持っている。ラブ・ミー・テンダーがこんなに似合うラストシーンはない。

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