2010年6月20日日曜日

陰翳礼賛 [市民ケーン]

1941年のアメリカ映画だが(戦争をはさんで)ニッポンで劇場公開されたのは1966年だった[市民ケーン]はオーソン・ウェルズの作品だ。製作監督脚本主演が当時24際のオーソン・ウェルズである。ボクはいつどこで観たのか忘れてしまっているけどファーストインプレッション(最初に観たときのドヨメキ)を覚えている。とにかく一貫して息苦しい映像だった。了見が狭くて窮屈だということではなくて、逆に奔放な時系列と技巧的な撮影によってテーマの奥行きは深くてイマジネイションの触発度は高かった。息苦しいのはリアリティの純度のせいだと思う。野心的で傲慢で甘ったれなケーンの人生は(特別だけど)一般的なのだ。ケーンの(破滅的で波瀾万丈な)人生ストーリーは、普通の人の普通の生活を劇用にデフォルメしたに過ぎない。普通の人だって野心的で傲慢で甘ったれなんだ。なによりボク自身の内面を見透かされたような気がして、心の闇に手を突っ込まれて大事にしまっておいたモノを引っ張り出されて午後の教室の黒板にビチャっと投げつけられたような気がしたからセツナくて息苦しかったのだ。「希望的であろうとする絶望」をこんなに直裁にボクに伝えてくるヒトはいなかった。闇にヒカリをあててもそこには闇しかない。

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