2010年7月2日金曜日

あたらしキヨシ [トウキョウソナタ]

まずはカップに注いだ牛乳をレンジで温めて、その上から濃いめの珈琲をドリップで落とす。シナモンパウダーをパフパフふりかければ家庭内カプチーノのできあがり。これをスターバックスのタンブラーに入れて出かける。スターバックスの店内で本など読みながら飲むこともあるし、公園でハトを眺めながらしみじみとススルこともある。しみじみ見ると東京の空は意外とノスタルジックだ。
黒沢清監督の[トウキョウソナタ](2008年公開)はカンヌ映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞した。
黒沢清監督というとホラー映画のイメージが強いかもしれないけど、この映画はあたらしいタイプのキヨシ流なので新鮮な気持ちで観た方がよい。あらぬ世界へとフワフワ漂って昇っていってしまいたい気持ちを我慢して、一生懸命こっち側に踏みとどまって痛みに耐えている監督の姿が想像されてイジラシイから、幻想シーンにもボッテリとした重量感がある。これがあたらしいキヨシリアリズムなんだな。
見慣れた私鉄沿線の住宅地がウルトラQの再放送のような既視感だし、家族の会話の言葉の羅列はツンツンとツボをついてくる、そこは現在の痛点だ。会社も学校もハローワークもよその家庭も美しいピアノの先生も、なんだか乖離しちゃっているけど、何から何が乖離しているのかわからない。
多重人格的家庭生活を描いた刺激的映画では豊田利晃監督の[空中庭園]があった。この作品も妻であり母親でありオンナである主役が小泉今日子だった。この配役の符号は印象的だ。映画と映画が繋がっている。
父親には父親の抱える問題があって、長男には長男の次男には次男の問題があるけど、そんなことを言い出したら教師には教師の問題があってピアノの先生にはピアノの先生の問題がある。昔の同級生にも昔の同級生の問題があった。偶然なのか必然なのか押し入ってきた強盗にだって強盗の抱える問題がしっかりあった。おまけにこの強盗は役所広司だから(そりゃ)大問題だ。そしてそのすべての問題を妻であり母親でありオンナである小泉今日子が一手に引き受けることになる。引き受けるだけのフトコロを示すんだ。なぜゆえにコイズミは多重問題をフトコロに包み込んでしまえるのか。乖離的女性だからだと思う。一見バラバラで脈絡のない日常の様々な出来事を女コイズミは家事一般として平然とこなしていた。(女にはこれができるんだ) ちなみに失業中の父親は香川照之。アノゆれる香川だ。心の底に鬼を秘めている香川だ。笑わない美人のピアノ先生は井川遥で、庭に開かれた一軒家の居間で午後の陽射しを浴びながら淡々と子供たちにピアノを教えている。この居間のピアノ教室は、エピソードとエピソードが触れ合う物語の交差点になっていた。意味なく重要な場所ってある。
[トウキョウソナタ]は希望を語らないホームドラマだけどスコッと抜けて爽快だ。

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