2010年7月3日土曜日

対抗見地 [A],[A2]

森達也監督の記録映画 [A] (1997年公開)と [A2] (2001年公開)の連作は、麻原逮捕後のニッポンの社会状況をオウム真理教の内部から観察した作品だ。見地というものを強く意識させる。映画の主体(まなざし)は、残ったオウム信者たちと共に居場所を求めてウロウロと彷徨う。ウロウロと揺れ動く集団に対する風当たりを記録している。今のニッポンには(実は)ウロウロと揺れ動く自由は確保されていないんだ。{A}と{A2}の、この揺れるマナザシ方式は森達也監督の著作 [死刑] (朝日出版社)の取材態度にも感じられる。[死刑の帯文にはこうある。「人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う」
森監督はオピニオンが硬直したときに起こる恐怖を知っている。
主体が彷徨う映画の方法は、とても恥ずかしいことの筈だ。明け透けに腹を見せちゃうこんなリスクの高いノーガード戦法を使うのは(社会的な)未熟を露呈してしまうことなのだ。一般的な(大人っぽい)国民はガードの仕方をしっかり勉強して上手に立ち回りながら生活している。一般的な落ち着きを装っている。
矢吹丈は現実の社会よりもリングの上の方が居心地がよかった。そしてリングの上で灰になった。
今もう一度、[A]と[A2]を観てごらん。きのうの自分がハズカシイぞ。

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