大好きな映画監督マーティン・スコセッシのイメージワーク全開な新作[シャッターアイランド]のテーマは贖罪だとボクは見た。社会の裏側にはシカケがあって何やらがガチャガチャとウゴメイテいるらしいけれどよくわからない。胡蝶のユメのように、これは夢の中の出来事かもしれないということを認識する現実が頑強なシステムというやつなのかもしれない。人が誰も本当ことを言わないのは何が本当かわからないということよりも、わかっていても言ってよいかどうかの判断がつかないからだと思う。本当のことを言うということはとても恐ろしいことなのだと大きな人たちに教えられた記憶があるようなないような。ひとまずクスリは飲まない方がよさそうだ。タバコも止めるべきだろう。その理由はこの映画を観ればワカル。突然に絶海の孤島に嵐が来たりて運命が変わるが、研ぎ澄まされた精神のヤイバにシカケの断片が映し出されたと思ったらスグに黒幕に覆われてしまった。ボクたちはマーティンにシカケられたが、マーティンも誰かにシカケられている。今日から出来事ひとつひとつが伏線に思えてしまう。今日から毎日がミステリーだ。所詮映画はトリックワークだと呟いても解決にならない。そういえばニッポンも立派な島国(シャッターアイランド)だな。
2010年6月20日日曜日
群衆のコドク [タクシードライバー]
街はブレている、流れている。言葉は行き場を失ってガスのように漂っている。人は笑っていても泣いている。せつないサックスが聞こえてくる。ボクが映画[タクシードライバー](1976年公開)を観たのは17歳の時だっだ。マーチン・スコセッシ監督もロバート・デニーロも、もちろん(12歳の)ジョディ・フォスターのことも知らなかった。ベトナム戦争のことだってよく知らなかったから(高校生のボクは)ビックリした。映画ってスゴイと思った。何がスゴイのかウマク説明できなかった。説明できなくてもヨイと思った。(今だってできない) 高校生のボクは、世の中にはドウニモナラナイコトがあるんだということを知った。ドウニカナルもんだということも知った。ためになる映画だったのだ。ニッポンの(埼玉の)高校生にとって、こんな(血みどろの)暴力シーンが身のまわりに起こることはない。だけどボクは共鳴した。環境設定がまるで違うのに、ボクの気持ちを(ボクのために)描いた映画だと思った。
登録:
投稿 (Atom)