今度はザラザラと色あせたインディーズフィルム調の画質だったクリント・イーストウッド監督の[グラン・トリノ](2009年公開)は「強さ」について考察している。腕力がワンワンと物を言ったあの頃は過ぎ去ってしまったけれども今だって何かが強くなければ生きていけない。だけど何が強ければいいのかさっぱりワカラナイと日々常々ボクは思っていた。そんなところへ持ってきて[グラン・トリノ]公開だからクリントはやってくれるぜ。高校生の時に池袋の文芸座で初めて[荒野の用心棒]を観たときにジャストタイミングに肝を抜かれたズゴズゴ感を思い出す。そうなんだよそういう感じのことなんだよボクのモヤモヤは、よくぞやってくれましたという高校生のボクに刺さったあの時のスゴスゴ感のことである。言葉を換えて言ってみると「怒りの矛先」を教えてもらってニゴリ水が見事に飲み込めた快感なのだ。理性と野性はチャーハンになって同じ皿の上に乗っているから腹が減ったら一気呵成に食べてしまえばいいんだけれども作法が難しいと思っていたんだ。でもこのシネマを観ればそれがわかる。身を挺して食べればよろしい。何気ない日常風景のつれづれにおいて身を挺して食べればよろしい。さすればプライドが立つ。これは特別なハナシではない。クリントがあらためて囁いてくれた美しく生きるための「強さの秘訣」だ。彼は世代を超えて同時代に生きている。シネマの言葉に耳を傾けよう。
2010年6月21日月曜日
2010年6月20日日曜日
世の中ゼニやけど [夕陽のガンマン]
ニッポンではボクが七歳の時に封切られたセルジオ・レオーネ監督のマカロニウェスタン[夕陽のガンマン](1967年公開)でいつもマブシイ顔をしているクリント・イーストウッドはイカシテルけど(まだ)演技派というほどでもなかった。マカロニウェスタンだからイタリア映画の西部劇。スペインで撮影したらしい。主演のクリントももう一人の賞金稼ぎリー・ヴァン・クリーフもアメリカ人だ。セリフも英語。セルジオ・レオーネ監督はイタリア人で当時英語は苦手だったとのこと。ボクはこの映画を日本語字幕で観た。ああややこしい国際感覚と感じるのは(ボクが)島国根性のニッポン人だからだろう。インターネットは無かったけれど既に世界はネッチャリと混じり合っていたのだった。南仏アルルでゴッホが浮世絵を見つめていたのは1888年だ。二人の賞金稼ぎが手を組んで悪党一味をやっつけるというわかりやすいストーリーでロマンスも葛藤もない。強力な太陽が照りつけるホコリっぽい荒野でムクツケキ男たちが汗まみれで金を奪い合う映画なのだ。拳銃の技が勝負を決める男の世界だ。義理も人情もない馬鹿馬鹿しいほどにシンプルなお話しである。それにしてもエンニオ・モリコーネのラテンなテーマ音楽が流れれば倫理も論理も吹き飛ばっされてシネマティックな気分にひたることができた。時は流れて、セルジオ監督が悲しくてやりきれないイタリア系移民の人生をネットリと描いた[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]が公開されたのは17年後の1984年だった。クリント・イーストウッド監督も「ガマンして生きる」映画をつくり続けている。
登録:
投稿 (Atom)